ぬまのつぐみ

おもにサウナで気持ちよくなったことを自慢するブログです

八丁堀 湊湯

最近は、決まった日常のなかに組み込まれた、同じサウナに通う日々を過ごしている。サウナに対して、かつてのような”ありがたみ”はかなり薄れた。

日々がルーチン化したことも要因なのだが、もう一つは体力の衰えだろう。サウナに入っても、温冷浴を楽しむほどの持久力は無い。身体と心の垢を落とすためだけに作業的に入っている(こなしている)。

限界リーマンらしいサウナの嗜み方にシフトしたが、これはこれで、サウナを味わう一つの方法なのだと思う。

 

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最近、八丁堀に通う用事が出来た。用事のあとにいつものサウナに向かうだけでは面白くないと思い、近辺のサウナに向かう。

八丁堀駅から5分ほど。ビルやマンションの立ち並ぶ道を歩くと、赤い看板が見えてきた。

湊湯は、現在のサウナブームが取沙汰され始めた時期に注目を浴びた銭湯だった。

注目を浴びた理由は、洗練されたデザインとしてリニューアルしたからだったと記憶している。銭湯がもつ瓦破風と煙突というイメージを打破する存在だったのだ。

 

入ってもらえば分かるが、壁の色や照明など、ほかにはない空気感を味わわせてくれる。そこに地元のおっちゃんたちが”銭湯らしい振舞い”で寛いでいることが、珍しいギャップを演出する。

要は、銭湯に入る人はあまり変わらず、箱が新しくなっている。こうして世代交代が進むのか知らん、と思ったりする。

 

一方自分は、この数年でサラリーマンよろしく(実際サラリーを貰える身分になったのだが)、時間に追われる生活に変化した。こうなってみて気づいたが、サウナは必ずしも必要ない。アツアツのお湯と、水風呂さえあれば8割方満足できるようだ。サウナ室でゆっくり過ごす時間が、贅沢な位置づけになってきてしまい、自身の矮小さに悲しくなる。

 

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都内に限った話だが、サウナ室は随分混むようになった。扉の前にサウナ待ちの裸行列ができることもあり、全くもって本末転倒である。サウナに入ることが、目的になってしまったなあと思う。

あんまり小難しいことを考えずに、裸で解放される時間を楽しもうぜ、と思うのだが、そも斯様な世の動きに一言添えたくなっている時点で、面倒くさいオジサンに着実に近づいている。従って最近は、サウナの話を振られてもニコニコするに限る。