研究室の後輩が皆おしなべて僕より優秀だもんで、幸せなのですが。そのなかの群馬県出身、K子氏に尋ねたときのことです。
わ「前橋に行こうと思うのだけど。」
K子「え、前橋?なにしに行くんですか?」
わ「文学館に行こうと思って。」
K子「へえ・・・渋いっすね。先輩は何が好きなんですか?」
わ「え、サウナとか、落語か、な?」
K子「へえ・・・渋いっすね。」
これが ”話題の盛り上がらない趣味” というやつでしょう。訊いてくれたのに盛り上がらない非モテの悲哀、言うだけ傷つきます。
とどめの一言「前橋マジなんも無いっすよ。」を頂戴するも、オジサンは向かいます。
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まずは前橋駅前のサウナにイン。さすがは温泉の国、駅前のスーパー銭湯ゆ~ゆでも、ちゃんと温泉が湧き出ていました。
ドライサウナ・ミストサウナがあり、水風呂がサウナ前に設置されています。水風呂は19℃ほどでしょうか、あまり冷たくはありませんが、まずまず。
外気浴スペースも広大で、寝転がることもできます。内湯・外湯は温泉なので、湯船につかっているだけで体の温まり方がちがう気がする。
正直これだけで前橋に来た価値があるのですが、今宵は一泊。今回は萩原朔太郎の故郷を尋ねるために来ました。
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寝る前に前橋の夜を探索ということで、千代田町界隈をうろうろとします。千代田町は居酒屋や風俗が軒を連ねる一角で、キャッチの人たちが暇そうに煙草を吸うのみ。ほかに道を歩く人はいません。そこを私のような髭が死んだ目で歩いていたら良いカモなわけで。
この ”ザ・地方都市”感は嫌いではないのです。それにしても、誰ともすれ違わない。
夜9時。いいねえ。
広瀬川が市内を巡っていて、柳がポンポン植えられている。夏場はここを散歩するだけで涼し気なのだろう。
商店街の熱意が垣間見える、気合の入った休憩所。
「地方都市はこんなもんだよなあ」と思いながら煙草をひとつ喫み、座って休憩。掲示板を見ながら涼しんでいると、時たま歩く人々からの視線が痛い。
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30分ほど回り道して、朔太郎生家跡に到着。
高層マンションとなっていました。
朔太郎は悶々としていた20代、この場所から千代田町に歩いていくことが多かったそうです。飲み屋でくだを巻き、オネーチャンの店でウザ絡みをして追い出され、それでも晴れない憤懣を抱えて前橋市内を彷徨った。そんな朔太郎を、前橋市民は冷ややかに噂します。
このマンションの場所には朔太郎の生家、すなわち前橋で随一の病院が立っていました。朔太郎の父・密造は、前橋で名士と謳われた先生だったそうです。その息子が働きもせずにうろついていては、そりゃご近所さんは冷たい視線のひとつも投げかけたでしょう。
彼は後年このように語っています。
町へ行くときも、酒を飲むときも、女と遊ぶときも、僕は常にただ一人である。友人と一緒になる場合は、極く稀れに特別の例外でしかない。多くの人は、仲間と一緒の方を楽しむらしい。ただ僕だけが変人であり、一人の自由と気まま勝手を楽しむのである。だがそれだけまた友が恋しく、稀れに懐かしい友人と逢った時など、恋人のように嬉しく離れがたい。「常に孤独で居る人間は、稀れに逢う友人との会合を、さながら宴会のように嬉しがる」とニイチェが云ってるのは真理である。つまりよく考えて見れば、僕も決して交際嫌いというわけではない。ただ多くの一般の人々は、僕の変人である性格を理解してくれないので、こちらで自分を仮装したり、警戒したり、絶えず神経を使ったりして、社交そのものが煩わしく、窮屈に感じられるからである。僕は好んで洞窟に棲んでるのではない。むしろ孤独を強いられて居るのである。
・・・気持ちはわからなくもないけれど、それにしても大変だったろうなあ。それが今では立派な銅像になっているのだから、わからないもので。
日が明けて文学館へ向かいます。ここは主に萩原朔太郎についての解説が行われています。同時に、「月に吠える」と「月に吠えらんねえ」の企画展も行われていました。
僕は、別に朔太郎のファンというわけではありませんでした。漫画「月に吠えらんねえ」を読んで興味をもち、もともと近代詩の父と言われているだけあり、「いったいどこがそんなにいいんだべか」と、じっくり読んでみた次第です。
ここで気に入った作品どうこうを語っても薄ら寒いだけですので避けますが、結果として朔太郎が好きになりました。チョロいもんです。
しかし、朔太郎はイケメンですねえ・・・。そしてボンボン。さらに、我らが先輩石川一くんと交友があった。一くんと時代を共にした明星が、またカッコいいんだ。
(こちらのブログより、画像を拝借致しました。明星の表紙について書いてて面白いです。)
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文学館は、平日の午前中ということもあり空いていました。係員の方がまた至極丁寧で、「映像作品は観たくなったら言ってくださいね。いつでも流しますので」と優しい。いくつか質問をすると、ちゃんと資料を出して受け答えしてくれました。
さて、前の明星に
この恋よ、乱れて末は知らなくに、おどろにまとふ紅づたのごと
があります。これは中学時代の朔太郎の作品らしいのですが、このとき彼は初恋のひとがいたそうで。相手は妹の友達・エレナ(仲子)だとされていますが、彼女と逢瀬を重ねた場所が、喫茶「坡宜亭(はぎてい)」だといわれています(嶋岡 1980)。
当時としては遊び心満載の喫茶だったようで(参考)、土手沿いに建つ3階建て。土手から2階に直接入ることができたそうです。
文学館のボランティア解説員の方に教えられた場所に行ってみますと、当時の建物はすでに無く、
土手から見たらこのようになっていました。
今は子供の遊園地のようになっているのですね。管理事務所(写真内ピンクと緑の建物)のところが、坡宜亭のあった場所らしいです。ここが、朔太郎にとっての甘酸っぱい場所だったのでしょうねえ・・・。朔太郎が、家や学校からこの場所へ、どんな気持ちで歩いて向かっていたかを考えるともう、こっちの耳まで熱くなります。
その昔 身をすりよせて君と我と よく泣き濡れし坡宜亭の窓
(1913)
結局初恋の相手とは成就せず。しかしてこれでは終わらない。
中学から10年後の1914年、エレナも結婚して子供がいる時分。朔太郎とエレナは久しぶりに会ったようです。(大人ってやつはよう)
この時期の彼の詩「再会」「月蝕皆既」「晩景」などではそれぞれ、エレナとイチャついた様子がみてとれます。さらに彼は、エレナの家まで赴いて呼び出すも顔を見せてくれないことに腹を立て、バーでヤケ酒を喰らってからもう一度家まで向かい、今度はエレナの旦那が登場したので、そそくさと帰って激しく後悔しています。(嶋岡1980)
当時の北原白秋宛の書簡に、別のバーで飲んだくれて書いた文章が残っています。
すこし酔って来ました
よってくると女がほしくなる
たまらなく女がほしくなる
ああ、だれかただでやらせる女は居ないかな。金が三十五銭しか財布にない
(中略)
僕はよっぱらってエラクなる、京子なんぞたたきつぶせ、エレナを暗殺しろ、
おれは浅間山のてっぺんへ馳けあがってそこから手を上げる、感動電気の作用で、市中の娘たちがおれのほうへ引き上げられる、そうすると僕はすてきにハッピイナになるんです、すみません、すみません、
BARの一隅にて、 さくたろ、
このあたりのストーリーで、朔太郎が好きになりました。どんな偉人でも、人間らしいところを感じると共感できますよねえ。。。
一くんも、仕事に行きたくないがために乳首を切り落とそうとして失敗などしていますが、当時の詩人はやはり変わった人たちだったのでしょうかね。また、cpa氏も常々言っていますが、お偉方の葛藤やその時々の考えなど、もっと知りたいものです。
ちなみに坡宜亭のすぐ近くに、朔太郎が結婚式を挙げた臨江閣があります。
朔太郎の最初の結婚から二度目の結婚までのお話も面白そうなのですが、ひとまず。
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そんなこんなで、坡宜亭で朔太郎の初恋をフンフンと覗き見して帰ってきました。また時間があれば、今度は朔太郎の散歩コースやら、東京での住まいやらをストーカーしてみたいものです。
(追記1)朔太郎の娘・萩原葉子氏の文章「父・萩原朔太郎」が昔の新潮にのっているということで、図書館にあるべかな、と探したらありました。図書館すげえ。
1959年の新潮だったか。三島由紀夫とかが連載しててすげえ。
この広告の時代感よ。いとおしいぜ。暇かよ。
(追記2)最近は地味に色んなことが身のまわりに起こっているもので興奮するのですが、非モテの悲哀が示す通り、誰彼言える内容でもないのでここで吐露したいのですがあまり咀嚼できていないことも多く(誰も見てないので拘ることもないのですがね)。酒の席で僕がうだうだ言い始めたら、どうか優しく聞いてあげてください。拝