ぬまのつぐみ

おもにサウナで気持ちよくなったことを自慢するブログです

蛇骨湯

「ヨーォッ」(パパパンッ)(パパパンッ)(パパパンッ)(パンッ)

 

江戸っ子だねェ。

 

ということで、浅草は鷲神社の酉の市へ向かう(追1)。今日は夜勤明けで、あまりにも作業が出来なかった(という言い訳だけど)。

 浅草駅で降りて国際通りを北上する。すれ違う人たちが大きな熊手を携えており、お祭り気分がすでに伺える。

 この日は凄い混雑のため、参拝のためには長い行列に並ばなければならない。参拝列は浅草方面・三ノ輪方面からそれぞれ伸びており、鳥居の前で合流するかたちとなる。浅草からは200m程の列が伸びており、並ぶと1時間はかかる。一方三ノ輪方面は人が少ないため50m程で済む。

 古い熊手を納めてから列に加わり、ちまちま前進すること15分ほどか。鳥居前の合流地点へ。

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鷲神社は普段ガランとした小さな神社の印象なのだけど、この日ばかりは雰囲気がまるで違う。そこかしこで、威勢の良い手締めが鳴り響く。

 

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境内に入ると、さらに30分ほどかけて鰐口の前へすすむ。

白赤黒の提灯が圧巻。(正直、この提灯を見に来たようなものだ)

 

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お参りを済ませてお店を回る。この時間も結構好き(というか参拝列から興奮しっぱなしなのだが)。

半被(?)を着ると男性は格好よく見えるし、女性は気高い。

綺麗な着物姿の、いかにも「女将さん」という風体の初老の女性が、毅然と切り盛りしている様は、ほんとうに、心の底から惚れ惚れする。

江戸っ子気質か商売人だからなのかはわからないが、値段を聞いて回るとドライな返答が多いもので(といっても嫌味は感じられないのが不思議なのだが)。

 

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 熊手のデザインもさまざまで、気に入ったものを見つけるのに結構時間がかかってしまった。(欲深く、お多福・小判・鶴が織り込んであるものにした。)自宅と研究室用の二つを購入することに。

 お店の前でチャキチャキ指示を出していたお爺さんに尋ねると、大変に優しい声で説明をしてくれた。さらには、「もう最後だから」と向こうから値切りをしてくれた(ここで僕は無粋だった:追2)。

 お爺さん「二つ合わせて3000円で。残りはご祝儀ということで、お気持ちだけ。100円でもいいよ」

 わ「じゃあこれで宜しくお願いします」(3500円)

  会計をすませると、商売棚にスペースを空け、二つの熊手を丁寧に、大事そうに並べてくれる。

 お爺さんが「手締めだ。」と若衆に一括。並べられた熊手に向かい、大きな声で一本締めを一緒に行う(本記事冒頭のアレ)。わーっと拍手で締められ、「境内を出るまでは袋に入れてはいけないよ。縁起もんだからね。たくさん福をかき集めて出て行ってください」と最後まで丁寧に見送られた。

 お爺さんの言に従い、境内をフラフラしてから鷲神社を後にする。これは本当に不思議なのだが、飾り物を買っただけなのに、大変に心持ちの良い気分になる(追3)。なんでこんなに気分が晴れるんだべ・・・と考えながら浅草方面へ。

 

 まだ時間も20:00頃だったので、蛇骨湯へ向かう。ここは初めてだ。

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思ったより綺麗な外観で拍子抜け(もっとザ・銭湯という佇まいを想像していた)。入浴料・タオル・サウナ代で800円。

 ここのサウナは6人ほど座れる造りで、小さなテレビがついている。温度計は97℃を指しており、湿度もそこそこある。清潔なので気持ち良い。池上さんの番組を観ながらポタポタと汗を流し、10分ほどで退室。水風呂は露天風呂と共に外にある。こちらは17℃を指していたが、多分19℃くらいしか無いのではなかろうか(外が寒かったのでちょうど良かったけれど)。外気浴スペースとして丸椅子が並べてあり、脇には池が。1m近くある立派な鯉が20匹もうようよ泳いでいる。二往復した時点で人が多くなってきたので退店。

 吐息も白くなってきた。今日の献立を考えながら帰路につく。良き日だった。

 

 

(追1)鷲神社の酉の市:鷲神社の祭神は天日鷲命日本武尊で、天日鷲命を知らなかったので調べてみると日本書紀から登場する模様。どうやら岩戸隠れのときの天細女命のエロいダンスに合わせて楽器を鳴らしていた神様らしい。酉の市の起源は神道仏教で解釈が異なるらしく、勉強してみたら楽しそうだ。ああ、楽しい。

 

(追2)値切り:安くなってラッキーだったと思いながら、違和感を感じて調べてみると後悔した。値切りは一種の儀式で、値切った分をご祝儀として支払うのだそうだ。僕はまだまだ子どもだと痛感させられる。

 

(追3)どうして晴れやかになれるんだろうか。納得がいかない。来るのは3回目なのだけども毎度困惑する。最初は祭りの雰囲気に当てられているのだと思っていたが、どうやらそうではない。一本締めで大きい声を出してスッキリしたのか。多分違う。きっと、ああいった商売人と触れ合ったからという理由が一番大きいような気がする。

(以下ゴミのような雑記)

・粋な商売人というべきか、江戸っ子というものか表現に困るのだけれど、落語や芝居から出てきたような「本物の」人たちと触れ合う体験だった。ドリヲ氏とも話していたが、落語の登場人物はカラッとした気質の人間が多い。それは酉の市や朝顔市、ほおずき市などの商売人に通じるものがあり、嫌味のないドライな対応からそれを感じることができる。(また、彼らが半被を纏っているからそういった一面が誇張されているのであって、東京下町の店員さん全般でも偶に感じることではある。つまり、酉の市のような商業に限らず東京の土壌が育む人格のひとつのような気もする)

・また斯様な商売人や来訪者には「粋な大人だ」と感想を抱かずにはいられない場面も多い。粋な大人に囲まれていると気分が良いのも確かだ。(では「粋」って一体?という本を紹介されて読んでいるが、これが苦戦する。そして読み進めるごとに、見事に僕は当てはまらないと痛感させられるのである。泣)

・談志は「落語は人間の業の肯定」と表現していた。きっとその本質とは異なるが、落語の登場人物は悪事をしでかしても深刻な態度をとらない。人の死さえも軽い笑いに浄化する世界だ。鷲神社で感じた御伽噺のような雰囲気は、少しだけ談志の言葉で表現され得るような気もする(要考察)。

 

(なんかしょうもないことを書いてしまった。いつまでたっても文章は上手くならない。ごめんなさい。)