ぬまのつぐみ

おもにサウナで気持ちよくなったことを自慢するブログです

サウナセンター大泉

 学校で雑務を終え、ドリヲ氏と合流。秋葉原でうだうだしたのち(「タバコには屈しない」と言いながらブカブカ吸っていた)、上野へ向かう。今日の目的は小三治

早めに鈴本に入ったが、それでもほとんどの席が埋まっている。さすがに人間国宝。仲入りのトイレ並びそうだ・・・と思っていたら案の定長蛇の列。(列に並ぶと、クラクラしてくる)。

 小三治師匠は高座に上がるやいなや、いきなり扇子を広げ「植木屋さん・・・」と始めた。ぼくにとっては、かなりの衝撃だった。(枕も楽しみだったのに、1秒もないとは)(追1)

 小三治ショックをひきづったまま、近くのタイ料理屋へゆく。相変わらず美味い。そこから椿屋珈琲店にゆく。相変わらず高い。フィナンシャルプランナーの話を聞きながら、自分の将来設計に酷く戦慄する。ドリヲ氏と別れたのち、またかよという感じだが、サウナセンター大泉に向かう。(だって、いいとこだもの。。。)

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久しぶりに深夜のアメ横を散歩する。正直汚い街だけれど、アジアだなあと思うのもこのあたりしかない。下の写真は少し古いが、バンコクカオサン通りでの一枚:

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なんか、このゴミゴミした感じがアメ横は似ていると思う。日本でこの雰囲気が感じられるってのは結構珍しい(と思う)。そもそも上野ー谷中あたりのアングラな雰囲気は、もともと日本が持っていたけれど廃れていったのか、はたまた最近の外国人観光客増加によってもたらされたのか。よくわからないなあ(追2)。

 しかしたぶん、僕が歩いている入谷へ続く道筋というのは、その昔は吉原にウキウキで向かう人々の足取りと重なるわけで(金持ちは駕籠だったらしいけど)。昔の人が吉原に向かう気分を想像していると到着。

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吉原並の愛おしさでもってサウナ階へ。この日は深夜でも、人が多かった(といっても3,4人ほどだが)。

サウナ前の湯船につかるだけで(あぁ・・・これだよこれ)という気分になる(この後に訪れるサウナの時間に高揚しつつも、湯に浸かったリラックスで最高の幸せを得るのである)。湯を上がり、サウナの扉を開ければ顔に熱気が降りかかる。濡れタオルを頭にかけながら、最上段へむかう(最近坊主頭にしたので、耳の先がかなり熱くなってしまうため)。小三治の「駱駝」を脳内放送しながら快楽の園へ、然様なら。

 

(追1)落語演目メモ(間違ってたらごめんなさい)

柳亭こみち:熊の皮

林家種平:新作(?)居酒屋の噺。焼酎お湯割。

柳家小袁治:長短:調べてみたら、先代小さん一門だったのですね。さん喬と同門だったんだなあ・・・。

柳家紫文長谷川平蔵がまったく関係ないけど毎回出てくるやつ。大好き。「一人のぉおんな」の"お"が好き。

宝井琴調:徂徠豆腐:鈴本の講談といえば琴調師匠のイメージ。聞き取りやすくて、噺も想像しやすい。この豆腐屋のお話も好き。こういった、小さな優しさを後から大きく返してもらう噺は個人的に好き(錦木検校とか)。

ストレート勝丸:ジャグリング:傘回しなど。若くてイケメンであった。。

林家楽一:紙切り:初めてお目にかかったが、無言でお客さんを見つめるのがとにかく面白かった。えも言えぬ空気となって、爆笑してしまう。あんなの、初めてだ。

柳家小三治:青菜:枕一切なしで最初から噺。どうして寄席で青菜?時間足りるんだべか??と思ったがちょうど30分でお終い。個人的には小三治の枕も好きなので、今日のはいったい・・・という気分であった。

 

(追2)ものの本によれば、文明開化以前はどこの地域でも娼婦を見かけるのは珍しくなかったという(渡辺京二「逝きし世の面影」とか)。今の吉原とは異なり、江戸以前は卑しい性風俗街として「吉原」の名が有名だったのではない。性欲以上の、煌びやかな世界として名を馳せていたということは様々な古典からも窺い知れる。つまりは当時を代表する繁華街の一つだったのだ。

 今では歌舞伎町が繁華街とひとつだけれど(当時の吉原とは全く異なるだろうけど)、歌舞伎町付近のマンション群を散歩すると成る程、薄暗く人の生活感に満ち溢れている。台東区に漂う人臭さのようなものは、吉原周りに住み着いていた人々が醸し出していた、この「薄暗さ」が引き継がれているのだろうか。。U先生に言わせれば、そういった空気を生み出す人々を惹きつける交絡因子についてポンとスルドイことを言ってくれそう。

 ちなみに深夜の鶯谷駅はたいへん趣深い。駅前でぼうっと佇んでいると、北口前のローソンから男女が買い物を済ませて次々と出てくる(これからホテルで呑むのだろう)。夕飯を食べに行くように平然とホテル街を歩く大人も居れば、「この二人は間違いなく不倫だろう」と思わずにはいられない二人組もそぞろに歩いている。(一つ言えるのは、ほとんどの大人が、50過ぎのいい大人でさえが、来る性の時間への期待をひた隠しにしているのがありありと見て取れるのである。そして女性は、年齢を重ねているほどそうだが、素直にそれを楽しみにしている様子も窺える。)